「まーさん、早く、早くー!」
そう言って、私の少し前を慌ただしく走るあなた。
「危ないよ」なんて声かけながら、人ごみの中をあなたと歩く。
ささやかな、幸せのひととき。
『ソーダ水』
私の誕生日が近付く頃、熊井ちゃんの家の近くでは毎年お祭りがあった。
何年か前に声をかけられてから、毎年私は熊井ちゃんとそのお祭りに行く。
自分の住んでいる所のお祭りより、家族で行くキャンプより、
友達と行く花火大会より、先輩の中体連よりも大きい。
私にとってそれは、夏の一大イベントだった。
「あっ。まーさん、あたし焼きとうもろこし買ってもいい?」
「いいよ、行こう?」
「あー、金魚すくい!」
「やってみようか、何円?」
「ねぇ、お化け屋敷とかあるよ!」
「ここのやつ毎年怖いんだよね」
人で溢れ帰る通りを、にぎやかにくるくると回る熊井ちゃん。
私はお祭りに来て一番始めに買ったじゃがバターのごみを片手に、
その様子を微笑ましく見ている。
遠目で見たら大人っぽくてかっこいい熊井ちゃん。
けれど、中身はとても幼くて。
そんなこと、一緒にいる時間が多い私はもう知っているんだけど、
それでもたまに、ギャップに驚いちゃったりするんだ。
「まーさん、欲しいのあったらちゃんと言ってね?」
お祭りに対しての興奮がおさまった頃、
私と同じペースで隣を歩く熊井ちゃんが不意に言う。
そういえば、さっきから熊井ちゃんは屋台に駆け寄るけれど、
私はそれに、保護者のようについていってるだけ。
「そんなに気、使わなくてもいいよ?」
変に気を使わせたかな。
私はそう思って、にっこりと微笑みを熊井ちゃんに向けた。
「まぁ、それもそうなんだけど」
つられたように笑う熊井ちゃん。
けれど不自然に放たれたその言葉に、私は首を傾げた。
「誕生日プレゼント」
忘れてるでしょ?
そう言いたげな熊井ちゃんの視線。
私は思わず、あぁ、と大きく目を見開いた。
そう、毎年熊井ちゃんからのプレゼントは、このお祭りで買ってもらっている。
熊井ちゃんはずっとそれを気にしてくれていたのだけれど、
私はすっかり忘れていた。
屋台に並んでるものがプレゼントでいいのか、とか。
もっとおしゃれなお店で買ってもいいのに、とか。
そんなようなことを言って、はじめての年は熊井ちゃんも渋っていた。
けれどその時買ってもらったネックレスに私が大喜びすると、
「来年もここで買ってあげるね」と意見を一変させたのだった。
それからというもの、『夏祭りで誕生日プレゼント』の思考は、
私と熊井ちゃんの中で常識となっている。
「今年は何買ってもらおうかな」
「好きなのでいいよ?」
「じゃあ、すっごい高価なの買ってもらっちゃお」
「なにそれー!」
私がふざけて言うと、熊井ちゃんは頬を膨らませた。
怒ってはみるけれど、顔は確かに笑っていて。
その姿がとても可愛くて、私の笑顔も溢れていく。
「じゃ、欲しいのあったら言うから」
私がそう言うと、熊井ちゃんは分かった、と言って頷いた。
そうは言ったものの、特に欲しいものは見当たらなかったりする。
可愛いアクセサリーとか、鞄とか、服とか。
いつもの私なら駆け寄りそうなものも、何となく今日はあまり欲しくない。
欲しくないというより、興味がない。
いつしか私はお店より、きらきらと目を輝かせてそれを眺める、
熊井ちゃんしか見ていなかった。
「あっ」
そんな私が声を上げる。
視界の中央に飛び込むように見えた射的の屋台。
そこに並んでいる、熊のぬいぐるみを見て。
「どうしたの?」
立ち止まった私に気付いた熊井ちゃんが、数歩戻って私に寄る。
私は少し距離のある射的の屋台を指差して言った。
「あれ、可愛くない?」
「あっ、あたしじゃん!」
熊のぬいぐるみが目についたのか、熊井ちゃんは自分を指差して言った。
そんなこと言ってたら熊の商品、全部熊井ちゃんになっちゃうじゃん。
そう言って私が笑うと、それもそうだねと熊井ちゃんは返した。
「欲しい?」
笑い声の間をくぐって、熊井ちゃんの声が耳に届く。
確かに可愛いし、部屋に置きたい感じだけど。
でも、年下の熊井ちゃんに買ってもらう誕生日プレゼントが、熊のぬいぐるみ。
何故だか分からないけれど、その事実が少し照れくさかった。
「いいよ、他ので」
「嘘だぁ、絶対欲しがってるって」
断る私の肩をぽん、とたたき、「うちにまかせて」と屋台に駆け寄る。
「本当にいいってばぁ」
そう言って止めた時には、もう熊井ちゃんは百円玉二枚をおじさんに渡し、
鉄砲を受け取っていた。
「もー」
「大丈夫だって」
「本当に他のでいいのに……」
ぶつぶつと隣で言う私を置いといて、熊井ちゃんは銃を構える。
少し体を乗り出して、さらに腕も伸ばす格好。
脚も長いけれど、それと同じように腕も長い熊井ちゃん。
けれどそれでも、鉄砲の銃口とぬいぐるみの距離は結構あった。
「行けっ」
短く声を上げ、熊井ちゃんは引き金を引く。
その眼差しがすごく真剣だったから、もしかしたら、と思ったけれど。
「はい、お嬢ちゃんたち、まいどあり」
銃弾七つのゲームを五回。
合計金額千円。
熊井ちゃんの打った三十五の弾は一つだってぬいぐるみにかすりもしなかった。
まだやる、と熊井ちゃんは言い張ったけれど、私は止める。
このままだと財布のお金すべてを使ってしまいそうな勢いだったから。
「もっとやりたかったなぁ……」
「ダメだよ、全然当たってなかったもん」
「あれ、難しいんだよ?」
「でもあれだけ的外れなのもすごいよね」
「もー!」
天才的な熊井ちゃんの銃の腕を褒めると、
気に入らなかったらしく背中を軽く叩かれた。
「ほら、もうお昼だし、休もう?」
むすっとした表情を浮かべる熊井ちゃんに、
私はブレイクスペースを指差した。
白い机と椅子が並ぶそこ。
そのうちの一つに私は腰をかけるけれど、
熊井ちゃんは鞄だけを椅子に置いた。
「まーさん、何か買ってくる?」
「まだ食べるの?」
「飲み物だけだよっ」
私はうーん、と腕を組む。
珍しく、何だかお腹はすいていない。
けれど喉は少し乾いているかも。
「じゃ、あたしも飲み物だけ」
そう言って立ち上がる。
けれど立ち上がれない。
熊井ちゃんが私の肩を押さえ、再び椅子に座らせたから。
「あたしが買ってきてあげるから、座ってて?」
「でも」
「いいのいいの! 午前中、あたしまーさん振り回しすぎちゃったし」
振り回されたなんて意識、ないんだけどなぁ。
そう思いながら熊井ちゃんを見上げる。
「何がいい?」
「んー……、何でもいいんだけどな」
「じゃ、あたしと同じのでいい?」
「うん……」
「わかった、行ってくるね?」
私の曖昧な返事を聞くなり、
熊井ちゃんは財布と携帯を鞄から抜き取って歩き出した。
迷子にならないでよね。
そう言った私の声は聞こえただろうか。
あっという間に、熊井ちゃんは人の波に飲まれていった。
何を買ってくるつもりだろう。
そんな思考がふと頭をよぎる。
しかしそんな事考えてもどうしようもないので、
私は黙って熊井ちゃんを待つ事にした。
十分が経過。
熊井ちゃんの事だから、きっと何買うか迷ってるんだろう。
二十分が経過。
熊井ちゃんの事だから、途中で他の屋台に寄り道でもしてるのかもしれない。
三十分が経過。
熊井ちゃんの事だから……。
「いくら熊井ちゃんでも遅すぎる……」
迷子になったな。
私は頭のどこかで悟った。
あの外見で迷子なんて、アンバランスにもほどがある。
一人でくすくすと笑いながら、鞄から携帯を取り出す私。
端から見たら、変な光景だろう。
不思議だった。
待たされている事も、迷子になっているであろうという事も、
なぜか腹立だしくは感じなかった。
むしろ、愛しい。
そんな熊井ちゃんが、大好きだと思った。
「まぁーさぁーんっ」
遠くで、熊井ちゃんの声。
私が思わず立ち上がると、
人ごみの中、こちらに向かって歩いてくる熊井ちゃんを見つけた。
「お待たせー!」
「どこ行ってたの?」
「んー、ちょっとね」
熊井ちゃんはそう言いながら机の上に、脇に抱えた二本のサイダーを置いた。
瓶に入った、昔ながらのサイダー。
昔ながらっていっても、昔の人じゃないからわからないけれど。
「ありがとー。お疲れさま」
「うん。……あっ、まーさん。これ、いる?」
早速サイダーを手に取る私に、
熊井ちゃんが差し出したのは肩にかけていた鞄。
何で自分の鞄を。
一瞬そう思ったけれど、熊井ちゃんの鞄はずっとここにあった。
という事は、今肩にかけて帰ってきたその鞄は熊井ちゃんのものではない。
当たり前のように熊井ちゃんになじんでいたものだから、
全然気がつかなかった。
「えっ、どうしたの、これ?」
「途中で見つけたの。
まーさんが好きそうだな、って思って」
もし別のがよかったら、それあたしが使うから大丈夫だよ。
熊井ちゃんはそう付け加える。
けれど、私の耳にそれは届かなかった。
どうしようもなく、嬉しかった。
熊井ちゃんが私と一緒にいなくても、私の事を考えてくれた事。
それだけじゃない。
熊のぬいぐるみが欲しいと勘付いて、夢中で鉄砲を構えた事。
私を休ませるためにここに残して、自分一人でサイダーを買ってきてくれた事。
こんなに幸せでいいんだろうか。
少し不安になったけど、その穴はすぐに愛しさで埋まる。
「まーさん?」
「あっ、ごめん」
感動のあまり、意識が遠くに飛んでいた。
私の顔を覗き込む熊井ちゃん。
「これ、誕生日のでいいんだよね?」
「うん。これ見かけて、『プレゼントにいいかも』って、
あたし勝手に決めちゃったんだけど……。よかった?」
心配そうに言う、その仕草がまた可愛くて。
「全然いいよ、ありがと……」
私は溢れる嬉しさを噛み締めながら、
鞄を受け取った。
すると、わずかに不自然な重み。
「あれ、何か入ってる?」
「見てみてもいいよ?」
首を傾げた私に、いたずらっぽく笑う熊井ちゃん。
えっ、何その反応。
もしかして蛇のおもちゃみたいな、何か変なものが入ってるとか。
いや、まさかびっくり箱風になってたりして、この鞄。
深追いしすぎて、だんだん不安になってきた。
そんな私に熊井ちゃんが期待の視線を送ってくる。
ええい、もうどうにでもなれ。
そんな半ば投げやりな気分で、私は鞄の中を見た。
そこにあったのは。
「へへー、すごいでしょ?」
熊のぬいぐるみ。
「え、何で……」
「だってまーさん欲しそうだったんだもん。
今ちょっと行ってきて、射的のおじさんに教えてもらいながら取ったの」
熊井ちゃんはそう言ってサイダーを口に含む。
こくん、と喉を鳴らして飲み込むと、
ぽかんと口を開けたままの私に言った。
「大事にしてね?」
締まりのない笑顔を浮かべる熊井ちゃん。
いつの間にこの笑顔は、こんなに輝いて見えるようになったんだろう。
どうして、こんなにも。
「大好き」
思わず、溢れた言葉。
私はあわてて口を押さえた。
けれど。
「えっ?」
熊井ちゃんは、聞き取る事が出来なかったみたい。
いいんだか、悪いんだか。
「ううん。なんでもない」
「そうなの?」
「うん。ありがと、大切にするからね?」
「……なんか照れるなぁ」
「赤くなってるー! 熊井ちゃんかーわいーいっ」
「もーっ、からかわないでってばっ!」
赤くなった頬をつつくと、
熊井ちゃんは照れ隠しに私の分のサイダーを突き出した。
水色に輝く、綺麗な瓶。
そしてその向こうに見えるのは、熊のぬいぐるみ。
「ほら、ぬるくなるよっ!
せっかく買ってきたんだからっ」
「はいはい」
まるで先生のように言う熊井ちゃんに従って、
私はサイダーを口に含む。
口の中ではじける炭酸水は、夏の味がした。
「何で当たらないのぉ〜!」
「ここまで出来ない人も珍しいんだけどなぁ?」
「……まーさん、きっと飲み物待ってるのに」
「まったく、しょうがないな。
お嬢ちゃん、もうそのくまさん持って行きな!」
「えっ?」
「美人のお嬢ちゃんだけに、サービスだぞ?
……ほら、どーぞ」
「あっ、ありがとうおじさん!」
「もう十分売り上げに協力してもらったからな。
早く連れの所に戻ってあげな」
「うん!」
射的屋の前でこんな会話をする、背の高い女の子とおじさん。
そして熊のぬいぐるみを嬉しそうに抱え、人ごみに消えた女の子。
これはまた、別の話。