寒すぎる中ではいずれ、寒いことさえ忘れてしまう。
だから人は温かさを感じて、寒さを感じることを覚えるんだ。
だから人は、幸せをさがすんだ。
『センチメンタル・ティータイム』
「あっ、見てキャプテン」
下ばかり見て歩いていた私に、千奈美は前ぶれなく声を上げた。
カーキー色コートの背中がくるりとこちらを向き、ほぅ、と息を吐く。
「息が白い」
そう言ったちぃの声は白く姿を変えて宙にのぼり、
やがて飲み込まれて行く。
あっけなく、何となく果敢ないその様子。
それは私たちに冬の訪れを予感させていた。
「本当だ。もうそんな季節かぁ」
「いつ秋が来たのか分かんないよね」
「うん。なんか、ずっと寒い」
「だよねー」
暖房の効いたデパートから出たばかりで、寒さに慣れていない私たち。
吐く息が白いことに気付いたのも、たった今だった。
気付いてしまうと、やけに気になる。
私は温かい息を吐くのを、
まるで初めてものを見た子供のように繰り返した。
「ねぇ、千奈美?」
「んー?」
「本当に、もういいよ?」
「やだよ、あたしが嫌なんだってー!」
ちぃは高い声でそう言った。
事の発端は、今日が私の誕生日であることだった。
深夜、私の携帯におめでとうメールを一番に送って来たのは千奈美。
そのくせ、誕生日プレゼントを用意するのを忘れたとか。
他の皆がからかったせいもあるかもしれないけれど、
その事実がどうにも千奈美は気に食わないらしい。
「明日じゃだめ、明日は佐紀ちゃんの誕生日じゃないじゃん!」
千奈美がそう言い張るものだから、私たちはこの寒い中、
プレゼントを探し求めて街を歩いている。
「第一さぁ、キャプテンが何が欲しいか言ってくれればいいのに」
「だって、これといって欲しいものないし……」
「うっそだぁ」
「欲のない女の子ですから」
「なにそれー!」
私の被ったニット帽を小突くと、
ちぃはけらけら笑った。
「でも、ホント半端なく寒いよね」
「でしょ? だから……」
「よし、じゃあここはうちが、あったかいものでも買って来てあげよう!」
「へ?」
気合いの入った声を聞いた、その次の瞬間。
私は千奈美を見失う。
慌てふためいて辺りを見回すと、
すぐ向こうに千奈美が走って行くのが見えた。
私はさらに慌ててそれを追いかける。
「ちょっ、待ってよ千奈美!」
「キャプテンはそこの公園で休んでてー」
うっすらと声が届く。
そのくらい私たちの距離は離れていた。
足の遅い私が、今から千奈美に追い付けるはずもなく。
私は立ち止まり、千奈美の長い足がテンポよく動いて行くのを眺めた。
やがてその姿は、信号の向こうのコンビニに消えて行く。
「もー……」
乱れた息と、弾む鼓動。
それらを感じながら、私は苦しく詰まった息を吐いた。
口から白く水蒸気が立つ。
ちぃに言われた通り、私は公園で待つことにした。
いつもは小さな子供たちで賑わっているはずのそこも、
この寒さでは誰も寄り付かない。
私は一人寂しくブランコに腰掛けた。
漕ぐことはしない。
余計に寂しくなるのもあるけれど、顔に風をぶつけるのも嫌だった。
真っ赤な顔でちなみを迎えれば、また笑われるに決まってる。
パーカーの中に突っ込んだままの手を、そっと外に出してみる。
すると、さすような寒さが勢いよく襲って来たので、すぐさま戻した。
いつの間にこんなに寒くなったんだろう。
千奈美は私に負担をかけまいと公園に置いて行ったんだろうけど、
いつもにぎやかで、周りに人が集まっている千奈美は多分知らない。
一人が、一番心に負担がかかるということ。
あれ、なんだろう。
こういうのって、センチメンタルって言うのかな。
何だか急に寒くなった気がして、私はニット帽を深く被り直した。
心の中に、風が吹いている。そんな感覚。
私は静かに瞳を閉じた。
その時だった。
首元に何かが触れる。
「……あっ、つぅ!」
体中がばねになったみたいだった。
一瞬にして縮められたそれは、勢いよく跳ね上がる。
ショートカットの髪をかき分けるようにして当てられたものが、
あったかいと気付いたのはその頃だ。
千奈美の仕業だというのは本能が叫んでいる。
何だか釈然としなくて、私は勢いよく振り返った。
一言、文句を言ってやろう。
眉毛が歪んでいるのが、自分でも分かった。
けれど。
それは阻止される。
「んぅ」
口元に当てられた、やわらかいものによって。
目に飛び込んで来たのは綺麗な薄紅色と。
「うばっちゃったー」
いたずらな、千奈美の笑顔。
私は目をぱちくりさせた。
口が自由だったら、口もぱくぱくしていただろう。
しかし私の唇にはまだ、何かが食いついたままだった。
「ダブルドッキリだよーっ! へへー、びっくりした?」
千奈美は得意げにいいながら、私の口に押し当てた『それ』を離す。
そして私からキスを奪った、そのプレイボーイとご対面させてくれた。
「……何それ」
「かわいーでしょ」
千奈美の左手には、ピンク色の豚のパペットが引っ付いていた。
私の変わりとでも言うのだろうか。
口をぱくぱくさせている。
「肉まん買ったら、ついて来ちゃったっ」
千奈美はパペットに喋らせる。
似てないから分からないけれど、多分梨沙子の真似。
「ほら、寒かったでしょ? あったかいお茶も買って来たから」
右手に下げた、やけに質量の少ない袋。
その中からお茶を取り出すと、ちぃは私の顔を覗き込む。
さっきから何も喋らない、私の顔を。
「……キャプテン?」
あぁ、もう、なんて言うか。
「……っは」
「……『は』?」
好きだなぁ、千奈美のそういう所。
「あははははっ」
好きすぎて、笑えてくる。
「あ、え、佐紀ちゃ……?」
急に笑い声を上げた私に、千奈美は戸惑うしかないのだろう。
目を見開いたまま私を見つめて、何をしようともしない。
まるでさっきまでの私みたいだ。
私はくすくすと笑いながら、千奈美からお茶を受け取った。
キャップを外すと、こくんと一口飲む。
「……あったかーい」
ほぅ、と白い息。浸透して行く温かさ。
けらけら笑わなくなった私を見てか、ようやく千奈美も笑った。
「……変なキャプテン」
「変じゃないよ」
「普通の人はいきなりバカ笑いなんてしませんー」
不思議だった。
あれだけ心が寒かったのに、今はもうこんなに温かい。
その理由がお茶だけじゃないのは、確かだった。
「さーてと、じゃあ、再出発と行きますか」
「千奈美」
「うん?」
千奈美が振り向く瞬間、私は左手のパペットを抜く。
「これ、ちょーだい?」
「へ?」
「誕生日プレゼント、この子がいいな」
「え、でも」
この子がいいの。
他のものなんていらない。
私はパペットの口を、千奈美の唇に押し当てた。
「……っ」
反応は、私そっくり。
「うばっちゃったっ」
目をぱちくりさせる千奈美に、
私はいたずらな笑顔を浮かべた。
プレゼントはこの子がいいな。
肉まんのおまけの豚のパペット。
だけど大切な記念の品物。
私の誕生日と、
私が『寒さと温かさ』を学んだ記念。
大切なことを学んで、一回り大きくなった記念。
教えてくれたのは、あなた。