『放課後、屋上に来てください』



それは、小さなメモでのメッセージ。



「……告白?」




『Evening glow』




軋むような鈍い音は、滅多に使われない印。
いつもかかっているはずの南京錠の姿は綺麗に消えていた。



「梨沙子?」



雅は重い鉄の扉を押す。
目の前に移るのは、緑のフェンス越しに広がる夕焼け。
それと、一人の少女。


梨沙子は灰色のコンクリートの上に寝転がっていた。
だだっ広いそこに大の字になるその様は、ある意味清々しい。


「みや」
「先輩を呼び出すなんて度胸あるね」
「……何のこと?」
「とぼけないの」


雅は胸ポケットから小さなメモを取り出した。
さぁどうだと言わんばかりにひらひらと見せつける。
雅の下駄箱に入っていた、あのメモだった。
梨沙子はじっとそれを見つめたあと、体を起こす。


「あたしだってバレてたんだ」
「分からなかったら来ないって。気持ち悪い」
「うん。もしかしたら来ないかもって思ってた」


知らない人からの告白なんかだったら、知らん顔するつもりだった。
放課後の屋上で告白なんてドラマみたいなこと、
機からするつもりもない。
けれどメモの字が梨沙子のものだったので、放っておくわけにもいかず。
早く帰りたい衝動を抑えて、しぶしぶ長い階段を上がってきたのだった。


「ここ立ち入り禁止だったでしょ。鍵どうしたの?」
「勝手に持ってきちゃった」
「職員室から?」
「うん」


梨沙子は遠くを見つめたまま言った。
グラウンドで部活をする生徒たちの声が張り上がってくる。
どこか上の空の梨沙子の隣に、雅は静かに腰を下ろした。


「みや、今日部活は?」
「顧問の先生が出張だから。梨沙子は……、まだ始まってないか」
「うん。昨日部活見学だったし」


梨沙子が自分から話しかけてきたのはそれが最後で、
屋上には沈黙が続いた。
春を感じさせるようになった風が、二人の間をすり抜けていく。
痺れを切らせた雅は、つい口を開いた。



「用件は?」
「用件がなくちゃ呼んじゃだめなの?」



思わぬ返事に、雅は梨沙子の顔を見た。
真新しい制服から伸びる白い首、そして顔。
夕焼けに照らされ、オレンジ色に染まっている。
そのお陰で、眉間に寄った皺は一番最初に目に入った。
くっきりと縁取られたような影が、そこには刻まれていた。



「嫌なことあったんだ」
「……別に」
「すぐ顔に出るから。分かるよ」



梨沙子は答えない。
雅が話しかけても、顔でさえこちらを向けなかった。
いきなり呼び出しておいて、ストレスの的だなんて。
つられたわけではないが、少しだけ雅の眉も中央に寄る。



「ねぇ、どうしたのって」
「……」
「何か聞いてほしくて呼んだんじゃないの?」
「違う」
「嘘」



素直になったらどうなの。



そっぽを向いたままの梨沙子の口元に、雅は触れる。
静かで、早く、流れるようなその動作。
無理矢理こちらを向かせると、無表情でずいと詰め寄った。



「慰めてほしくて呼んだんでしょ?」



急に近付く、距離と距離。


もつれ込む体と、促されるように背を下ろす梨沙子。


静かに、布の擦れる音が響く。


見方によれば気怠そうにも見えるほど、ゆっくりと頭が沈む。
天を仰ぐ梨沙子と、地を見下ろす雅。
短いスカートから伸びる雅の脚が梨沙子を跨ぐことにより、
二人の視界にはお互いが映っていた。


「寂しいんでしょ」
「違うよ」
「こっち向いてって」
「嫌」
「何拗ねてんの」


雅に馬乗りになられても、梨沙子の強情さは揺るがなかった。
強引にフェンスを向き、雅と目を合わせようとしない。
発せられる言葉には、感情さえ伺えなくなってきた。


「梨沙子」
「……」
「シカト?」


はぁ、と聞こえるため息をつき、雅は体を起こした。
梨沙子の足にしっかりと腰を下ろし、その顔を眺める。
横を向いたそれからは、何を考えているのか分からない。
何のために呼び出し、何故拗ねているのか。
雅には分からないことだらけで、どうしていいのか分からなかった。


困り果てた末に、触れようとした指。



それは、本能。



「梨沙子」



耳元で甘く囁き、頬に口付けを落とす。



「っ、みや……!」



久しぶりに聞いた、まともな声。
とまどいを押し出した口を、雅は正面から塞ぐ。
頬へのキスに反応したのが運の尽きだった。


「ん……っ」


本来するべき所への口付けは、深い。
体の中へ一歩一歩、確実に歩み込んでくるような。
梨沙子の脳が甘く麻痺しているのが、触れるだけで分かった。
息は荒くなるが、苦しさは逆に薄れていく。



「っは……」



顔を離したとき、梨沙子の頬は赤く染まっていた。
夕焼けのせいにも出来ないほどの姿を見て、
雅はくすりと笑みを浮かべる。


「やっと、向いた」
「……っ」
「何か、大人になったね。すごい色っぽい顔してる」


桃色の唇を、雅は親指でなぞる。
真っ赤になった顔と、潤んだ瞳が印象的だった。
不意に愛しさが込み上げ、再びキスをしようとする。



「待って」



けれど、近付いた顔は梨沙子の白い指によって止められてしまった。
恥ずかしがって入るが、弱気なわけではない。
不服そうに口をへの字に曲げている。


「……なったよ」
「え?」
「大人になったよ、あたし。少しだけ」


急に発しはじめた梨沙子の言葉の意味が、雅には分からなかった。
強気だった雅から妖美さが消え、動揺が見える。
そんな様を見て、梨沙子はため息をついた。


「昨日、何の日だったと思う?」
「昨日?」
「まだ分かんない?」


じ、と上目遣い。
少しだけ胸が高鳴る。



けれどその鼓動は、一瞬にして去る。



「あ」



繋がった、今までの態度の理由。



「誕生日……!」
「……やっと気付いた」



春風が吹いた時点で気付くべきだった。
毎年この季節には梨沙子の誕生日を祝っていたのに。
どうして忘れていたのか、雅は自分でもよく分からなかった。


梨沙子は再び口を尖らせ、ぷいとそっぽを向いた。
飼い犬に手を噛まれたのに似た寂しさが、
雅の胸に一滴、ぽつりと落ちる。


「あー、ごめん……」
「この間まで『プレゼント、何でも言って』とか言ってたくせに」
「ほんとにごめん! ね、謝るから!」
「知らない」


雅はその細い肩を掴むと、梨沙子の重なるように横になった。
梨沙子の顔のすぐ下に乗せられた頭からは、
シャンプーの臭いが仄かに香る。
甘えた猫のような声を出すが、梨沙子の機嫌はまだ治らない。
ふぅと息をつき、雅は頬を、触れていた梨沙子の胸から離した。



体を起こし、再び梨沙子に向き直る。



「どうしたら許してくれるの?」



解けた借り物猫の魔法。
目は、きっと無意識の上目遣い。
そんな雅に、梨沙子はふっと笑ってみせた。
簡単に笑顔と呼べない、意味深な表情。


「もう一回して」
「へ?」
「キス。もう一回、して?」


照れくさそうに言う梨沙子。
手は、自分のシャツのボタンを外していた。
白い肌と綺麗な鎖骨がその間から覗く。




「……キスだけじゃ終わらせてくれないくせに」




まぶしい、オレンジ色の世界。



人知れず、こっそりと、でも、深く。




夕焼けの屋上で、二つの影が重なった。






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