夏の匂い 雨の中で
一瞬うつるは あなたの優顔
『雨降り金魚』
広いとはいえない道。
並ぶ屋台に、上がる花火。
そして人。
どこを見ても人、人、人。
溢れかえるようなその中に、
あの子を見つける事はできない。
数日前。事の始まりは楽屋でだった。
学生鞄から宿題を出そうと中を見ると、見慣れない一枚の紙があるのに気付く。
「桃、何それ?」
そしてそれを眺めていると、後ろから聞き覚えのある声が自分を呼んだ。
振り返らずとも分かる、歳の割には大人びいた声。
「梨沙子」
「チラシ? どうしたの、それ」
「ああ、桃の学校の前でこの前配ってたの。地域の夏祭りの案内」
桃子の手には『第二十九回 納涼夏祭り』と書かれたカラフルなチラシ。
梨沙子はそれに目を輝かせていたので、桃子は手渡してあげた。
「桃、焼きそばもあるって。たこ焼きも!」
「梨沙子ってば、食べ物ばっか?」
「……桃だって人の事言えないくせに」
確かに。
梨沙子と桃子で食い意地が張っているのは、やっぱり桃子なのだが、
それをすぱっと言われるとなかなか悔しいものである。
「桃は……、どっちかと言えば金魚すくいとかの方がいいなぁ」
「金魚すくい?」
首を傾げた梨沙子に、桃子は遠くを見ながら語る。
「だって、部屋で金魚鉢に入れて飼えば『夏!』って感じじゃない。
………でも、金魚ってすぐに死んじゃうじゃん? ほとんど夏、越せないし。
命を奪うくらいならやらない、って毎年思ってるんだ。可哀想だしね。」
そう言ったら、「なんか大人なこと言っちゃってるね」って感心された。
少し名誉挽回。
「でも、金魚は好きなんでしょ?」
「うん。金魚はね。ひらひらして綺麗だし」
桃子が言うと、梨沙子はへらっと笑った。
× × ×
心に泳ぐ金魚は 恋し想いを募らせて
真っ赤に染まり 実らぬ思いを知りながら
それでも そばにいたいと願ったの
× × ×
そしてその時、一緒に夏祭りへ行く約束をして、今日。
駅でちゃんと合流できたのだが、屋台を巡っていくうちにはぐれてしまった。
桃子は半ば途方に暮れていた。
浴衣の襟元を正し、再び歩き出す。
「梨沙子ー?」
桃子の声は大勢の話し声に掻き消されていく。
いくら桃子の声が高くて目立つ、といっても、この人数の前では頼りにならない。
携帯に電話をしようにも、梨沙子の荷物である小さな巾着は桃子が持っている。
射的してくる、と言ってお金を握り、巾着を預けて飛んで行ってしまったのだ。
あわてて追いかけたが、人の波に飲み込まれて、
射的の屋台にたどり着いた時、梨沙子は射的をしていなかった。
既に姿がなかったのだ。
「あ」
桃子の鼻の頭に、ぽつんと違和感。それに続いて、頭、肩。
雨が降って来た。
「やっば……! りーさこー!」
たくさんの人が建物の中に避難する中、桃子は比較的空いてきた道を走る。
まだ小雨で、花火や太鼓の音も遠くから聞こえて来た。
まだ大丈夫。
いつもの靴と違って今日は下駄。
走りにくいったらありゃしない。
「梨沙子!どこー?」
辺りが見やすくなったとはいえ、まだ小雨に負けない人は祭りを楽しんでいる。
身長が低めの桃子に、この中から梨沙子を探すのは無理がある。
そんな時。
周りの人々のわぁっ、と言うざわめきが、桃子の元に届く。
次の瞬間、ぱらぱらしていた小雨が勢いを増した。小雨どころではない。
「ちょっとちょっと!……そんなのあり?」
桃子はスピードを上げた。
ほとんどの人が脇に逸れて行くから走りやすい。
雨の音の中に、桃子の走る音だけがこだまする。
「梨沙子……」
これだけの雨が降っていれば、いくら梨沙子でもどこかに避難しているだろう。
浴衣が湿って来た桃子は推測し、近くの神社に逸れた。
自分の巾着の中からハンドタオルを出し、髪の毛や浴衣を軽く拭く。
心のどこかで、寂しさが溢れそうだった。
雨は一向に止む気配を見せない。一人だと流石に心細い。
軽くため息をついて、賽銭箱にもたれて座る。
この中のお金が自分の物になったらいいなぁ、なんて卑しい事を考えながら。
× × ×
心に泳ぐ金魚は 醜さで包まれぬよう
この夏だけの命と決めて
少しの時間だけでも あなたの幸せを願ったの
× × ×
「………あれ」
見間違いだろうか。向こうの道に、人がいた気がする。
いくら何でもこの雨の中、進んで外に出て行くような人はいないだろう、と思い、
目をこすって再び目線をそっちにやる。
人影は消えない。
「………待って」
黄色い浴衣に赤い帯。おろした髪の毛。その色は淡い茶髪。
「梨沙子!?」
桃子が叫ぶと、その人物は反応して桃子の方を向く。
「ももー!」
梨沙子の声で、返事が返ってきた。
桃子はあわてて巾着をその場に置き、雨の中に駆け出した。
梨沙子もこっちに走ってくる。
先に駆け出した桃子の方が早くて、ちょうど鳥居の前で捕まえた。
「ちょ、何ほっつき歩いてんの!雨降ってるじゃん!」
「だって、桃が見当たらなかったから。」
「………とにかく行こっ!」
叱り飛ばしてやるつもりだったが、
ひょうひょうとした梨沙子の態度に拍子抜けしてしまった。
桃子は梨沙子の手を引いて社の中に入る。
さっきのハンドタオルより少し大きめのタオルを出して、梨沙子の髪を拭いた。
びしょ濡れ、とまではいかないが結構濡れている。
肩にタオルをかけてやると、桃子は梨沙子の隣に座った。
「どこにいたの?探したんだよ?」
桃子が覗き込むと、梨沙子は大切そうにしていた左手を出した。
「……これって」
「へへへ、凄いでしょ」
梨沙子の細い指からは、金魚の入った袋が下がっていた。
「どうしたの、これ」
「あたしが取ったんだよ。綺麗でしょ」
ひらひらと袋の中を泳ぐ三匹の金魚。どうやら三匹とも梨沙子が掬ったらしい。
「射的に行ったんじゃなかったんだ」
「だって桃、この前」
梨沙子は不意に、袋を桃子に握らせた。
「金魚はひらひらして綺麗だから好き、って言ってたもん」
梨沙子は顔を上げ、無邪気な笑顔を桃子に向けた。
桃子の胸の中で、熱いものが込み上げて来る。
「桃の……、ため?」
「驚かせたかったんだぁ。驚いた?」
自分以上に濡れているのに、そうやってまた気の抜けた笑顔をする。
その様はどこか、びしょ濡れでも飼い主を待つ子犬をイメージさせて。
どうしようもなく愛おしくなる。
「わっ、桃!?」
「へ?」
「どうして泣いてるの……?」
言われた桃子は、自らの目尻を触った。
雨ではない水滴が指に乗っかる。
「……あれ?」
その瞬間、ぼろぼろと涙があふれて来て、止まらない。
悲しいわけじゃない。苦しいわけでもない。
なのに、無意識のうちに涙が流れて来て。
自分の方が年上なのに恥ずかしい。
気付いたら、桃子は梨沙子の首に手を回していた。
「……桃」
それを梨沙子がぎゅっと抱きしめる。
それを感じてか、桃子も腕に力を込めた。
「どうして、そんなにいい子なの……?」
梨沙子の耳元で、桃子のしゃくり上がる声がする。
泣き止まない桃子の黒髪を撫で、ぽんぽん、とあやすように肩を叩く。
「ねぇ、桃。知ってる?」
梨沙子は不意に口を開いた。
「金魚はね、すぐに死んじゃうけど、それは悲しい事じゃないんだよ」
「金魚は自分を掬ってくれた人に感謝の気持ちを伝えるの」
「金魚鉢の中で踊ってね。掬ってくれた人にいい思い出を作ってあげるの」
「でもね、小さな金魚は精一杯踊ると疲れちゃうんだ」
「だから死んじゃうけど、その時も掬ってくれた人の幸せを祈ってくれてて」
「死んじゃう、って事は、金魚が自分をひとときでも愛してくれた証なんだ」
梨沙子の説明は、何だか子供じみていたけど、どこか納得した。
いつの間にか涙は止まっていたけれど、梨沙子から離れるのが恋しくて、
桃子は濡れた梨沙子の髪を梳きながら聞く。
「どこでそんな事覚えたの?」
「金魚すくいのおじさんに聞いたの。
桃のこと話したら、『その子は詩人だな』って言ってたよ。」
桃子はつい吹き出しそうになった。
金魚すくいのおじさんからの受け売りだとは思わなかったから。
「だからね、桃。金魚をすくう事は金魚の命を奪う事じゃなくて。
金魚に生き甲斐を与える事なんだよ?」
耳元で響く柔らかな声は、桃子の心を落ち着かせた。
何処か夢心地な意識で、桃子はぽつりと呟く。
「……ありがとう、梨沙子」
雨は降り続き、辺りの空気をしとしとと濡らしていく。
梨沙子は雨が止むまで、ずっと桃子を抱きしめていた。
夏の匂い 雨の中で
一瞬うつるは……