あなたはどうして



いつでもそんなに笑顔なの?





『赤い糸』





「みやが大好きだからだよ」



今までずっと不思議に思っていたこと。
その答えは一言で終わってしまった。
つい、ぽかんと口を開く。
梨沙子はこちらを向いたまま、頬を桃色に染めて微笑んでいた。



「みやが大好きだから、笑顔でいられるんだよ」



足りなかった言葉を補うように、梨沙子はもう一度言った。
雅が反応を返さなければ、何度だって言う勢いだった。
慌てて雅は「そう」と返す。
とっさの返事が素っ気なくなってしまって後悔するのはいつものこと。


梨沙子の「好き」は、さりげなくて鋭い。
腕の立つ剣士の剣筋のようだ。
忘れた頃、隙を見せたときを狙うかのように放たれる。
その言葉は胸の真ん中に突き刺さり、なかなか抜けないのだ。
それまで雅は、顔を赤らめて慌てるしかない。


加えて、梨沙子は好き好き言い過ぎなんだと思う。
「好き」っていう言葉の意味が分かっているのだろうか。
雅自身、よく分からない時だってある。
なのに、梨沙子が分かるはずがない。
なんとなくそう決めつけている。



少し前まで雅に引っ付いてばかりだった梨沙子が。



幼い日の面影が、成長した梨沙子に重なる。
あどけない笑顔が被って、胸が高鳴った。
ありもしない唾を飲み込む。



ふと、思う。
あの日の梨沙子は既に、自分のことを好きだったのだろうか。
初めて好きだと言われたのはいつだっただろう。
言われすぎて忘れてしまったけれど、
『そういう意味』だと雅が自覚したのは大分成長してからだった。


「梨沙子」
「んー?」


隣で指先を弄っていた梨沙子は、すぐさま目を離して雅を向いた。
名前を呼んだだけなのに、こんな笑顔を向けてくる。
仔犬みたいだな、と思った。



「梨沙子っていつからうちのこと好きなの?」



無意識のうちに生まれた疑問を、そのまま口に出しただけ。
いや、そのまま口に出したから気付かなかった。
自分で言葉にして、その質問の大胆さに気付く。
どこか傲慢であり、まっすぐすぎる質問。
何てことを口にしてしまったのだろうか。
雅は一人、顔を赤らめたり焦ったりで忙しい。



けれどそんな雅とは天と地の差。
梨沙子の答えはあっさりしていた。



「分かんない」



声を出そうともしなかった。
視線も、開いたままの口も、慌てて頭を抑えた手も、
そのまま動きを止めてしまった。
反応の消えた雅に、梨沙子は小首を傾げる。


頭の中を整理する。
拍子抜けしすぎて、思考が真っ白だ。
単純なのか、複雑なのか。
梨沙子の思考はさっきから全く読めない。


「……忘れた、ってこと?」
「違うよ。忘れるわけないじゃん」


否定の言葉。
でも「分からない」は、忘れたってことになるんじゃ。
言おうとしたけれど、やっぱり止めておく。
そのかわり、雅はふっと鼻で笑った。



「うろ覚えってことは、そこまでうちのこと好きじゃないんじゃないの?」



冗談のつもりだった。
けれど、梨沙子の顔からはどんどん笑顔が消えていく。
一瞬の出来事のはずなのに、消える流れがやけにゆっくり目に焼き付く。
現実味を突きつけられている気がして、背筋のあたりが寒くなった。



来るな、と感じたのはきっと本能。


目を閉じる間もなく、梨沙子は雅の頬に手を添え、口を寄せた。



乱暴なキスだった。
下手をしたら歯と歯がぶつかりそうな勢い。
こんな口付けは初めてだったかもしれない。
恐怖に似た感情に目を閉じる。
いつものとろけるような瞼の重みはなかった。


何となく目を開くのが怖くて、唇が離れても雅の体は硬直していた。
頬から滑り降り、腕へと絡んだ梨沙子の手を、ぎゅっと握ってみる。
返事の代わりに、腕を握り返された。
そっと、目を開く。



瞼を持ち上げた瞬間飛び込む梨沙子の顔。
丸く整った目から発せられる何かが、雅を押さえつける。
その向こうには、寂しさと怒りが混ざったような感情が見えた。
薄い唇が尖る。




「大好きだもんっ」




胸の奥が、熱くなる。



まただ。
また、刺される。
その剣筋はまっすぐで、雅からの反論を許さない。



「ご、めん……」
「大好きだもん」
「分かったって」



雅は思わず梨沙子から顔を逸らした。
梨沙子の顔を見ていては、また不意に刺されそうで。
それに、赤くなっているであろう顔も見られたくなかった。
気付かれないように、指先で唇をなぞる。


びっくりした。
思えば、初めてのキスは梨沙子からだった。
それを含めて、梨沙子のキスは毎回柔らかくて温かい。
あんな強引なキスは珍しかった。
急にあんな奪い方をされるとびっくりする。
心臓に悪い。



梨沙子は随分、大人になったのかもしれない。
ふと思った。
告白も初めてのキスも、思い返せば梨沙子からだった。
幼い日から今まで、
雅は梨沙子に引っ張られてきたようなものなのかもしれない。
確かに、雅が梨沙子をサポートした経験はいくらでもある。
けれどその内の一つも、恋愛に関わる経験はない。


今だってそうだ。
年齢は雅の方が上だ。
でも、どう見ても慣れているのは梨沙子の方。
「好き」と繰り返してくれるのも、梨沙子だけ。


そう思うと、隣に座る少女が知らない人に見えた。
梨沙子は自分と手をつないで、一歩後ろを歩いているのだと信じていた。
しかし現実はそうでもない。
対等に、そして時に一歩先を歩いてくれている。
あどけない、朗らかな笑顔を浮かべながら。


中身だけじゃなく、外見も変わった。
笑顔は変わらないけれど、随分大人っぽくなった。
綺麗な横顔。
昔から梨沙子は綺麗だ。
見ていると時を忘れる。
照れくさくて、口に出したことはないけれど。



「あっ」



流れていた沈黙を打ち破ったのは梨沙子だった。
梨沙子が声を出して初めて、沈黙が流れていたことを知った。
物思いに耽すぎていた。


「な、何」
「分かった」
「何を」


動揺を全面に押し出している雅に対し、
ここでも梨沙子は動じていなかった。
会話の流れを作っているのが梨沙子だから、
当然と言えば当然だが。




「みやを好きになった時」




心底嬉しそうな顔。
この顔だ。
雅にいつでも向けられる笑顔。
それはいつだって眩しい。



「初めて会った時からだよ」
「え?」
「初めて会った時から、みやが好きだった」



照れくさそうに言う梨沙子。
初めて会った時。
お互い何も知らない、あのときから。


「……一目惚れ、ってこと?」
「んー、なんて言うか、一目見て分かったの。
 みやの優しい所とか、かっこいい所とか、いい所全部」
「……そんなの」
「うん、気のせいかもしれない。だけど、この人が好きだって確かに思った」


現実味のかけらもない言葉を、梨沙子はゆっくりと丁寧に紡いでいく。
まっすぐに自分を思ってくれる梨沙子を見ると、
自分がいかに余計なことを考えているかが丸分かりだった。
梨沙子は、好きという気持ちだけで動いている。
ひたむきで、揺らがない。


梨沙子はふっと笑った。
その眩しさに、雅はつい目を細める。



「きっと私は、みやと出会う運命だったんだよ。
 で、みやに恋するって決まってたの」



当然のように言うと、梨沙子は小指を立てた。



「赤い糸が繋いでくれてたのかもね」




どうして、そんなにも。




雅は梨沙子の立てた小指をそっと握った。
梨沙子が視線だけで、どうしたの、と聞いてくる。
その指を押し下げて、乗り越える。
梨沙子の顔が、視界いっぱいに広がった。



雅は吸い込まれるように口付けた。
自分からするキスは、されるキスよりも甘くない。
けれど素直でいたいと思った。
梨沙子ほどまっすぐじゃないかもしれないけれど、
自分だって梨沙子が好き。



「梨沙子は、昔から綺麗」



唇が離れ、雅はぽつりと呟く。
素直になりたいとは思ったけれど、そう簡単なものじゃない。
しばらく梨沙子の顔を見るのにためらいがあった。
しかし肝心の梨沙子からの反応がない。
思えば、話の流れを無視して思いを伝えてしまった。
しまったな、と思いながら顔を上げる。



そこには、顔を真っ赤にした梨沙子がいた。



思いもしなかった反応だった。
だって梨沙子は、恋愛面では雅の一歩前を歩いていて。
色んなことに慣れているはずで。
思考を反芻すればするほど、雅の顔も一緒に赤くなる。


「あ、ちょ、その……」
「みやの」
「え?」
「みやの方が綺麗だよ、昔から、今も」


そんなわけない。
否定しようとするけれど、
そんな簡単なことができないほど、頭が回らない。


「そ、う、なの?」
「そうなの」


あっさりと引き下がってしまった。
熱を持った頭は上手く動かない。
けれどその奥で平熱のもう一人の雅が、
ため息をついているのが分かった。


ふ、と息を吐いたのは梨沙子。
体の力が抜けたとでもいうように、
だらんと上体を背もたれに任せる。


「……びっくりした」
「何か、ごめん……」
「謝らないでよ」


梨沙子の体が跳ね上がる。
さっき力を抜いたばかりなのに忙しい。



「嬉しかったのに」



その言葉が妙に響いて、雅は自然と梨沙子の顔を見た。
久しぶりにまともにみた梨沙子は、まだ頬を赤く染めている。
はにかむように笑う笑顔は、どことなく幼い。



何だ。



まだ梨沙子は、そんなに遠くなかった。
自分と同じ場所を、自分と同じ位置で歩いている。
そう感じると、何となく安心した。


梨沙子が不意に口を開いた。
また、小指を立てている。



「ねぇ」
「うん?」
「赤い糸って、信じる?」



赤い糸。
そんな少女マンガのようなもの、信じたことがなかった。
けれどそんなことを大真面目に語った梨沙子の前では、
それが現実にあるように感じるから不思議だ。


雅は同じように小指を立てる。
そして梨沙子の小指と絡めた。
ぎゅっと、離れないように結ぶ。




「……信じてもいいよ」




私と梨沙子が出会ってお互いに恋をしたのが、
その赤い糸のお陰なら。




小指ごと結んだ赤い糸は、きっともうほどけない。






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