細すぎるほどの肩に、華奢な背中。
長くて黒い髪を軽く巻いて、
下の方で二つに結うのが今日の私のヘアスタイル。


それを発見したあなたは本能的に走り出す。
もちろん、止まる術は知らない。



『愛情表現』



「ガキさぁーんっ!」
「おわぁっ」


ロケットばりのその勢いに気付かなかった私は、
見事腰への追突に直撃。
そのおかげで、持っていた紙コップの中身をこぼしてしまった。


「へへぇ。ガキさん、オーバーなんやから」
「ちょっとあんたぁー!」


にやける愛ちゃんの頭を、私は肘で小突いた。
少し強め。
愛ちゃんの笑顔が消え、眉は八の字、口はへの字になっていく。


「いったぁーい」
「痛いじゃないの! 愛ちゃんのせいでこぼれちゃったじゃんか!」


両手に一つずつ握った、オレンジジュースの入った紙コップ。
こぼれた跡に気付いたのか、愛ちゃんはしまった、と目を見開く。
それを見て、私はふん、と鼻を鳴らした。


「せっかく愛ちゃんと飲もうと思ったのに」
「えっ」
「もーいいよ、誰か他の子誘って……」
「あー、あー! ちょっと!」


ぷい、とそっぽを向き、歩き出そうとした私を、
前に立ちはだかって止めようとする愛ちゃん。
しかしそれを無視して、私はずんずんと歩を進める。


「ごめんよ、ガキさぁーん!」
「だーれがいいかな。あ、田中ちゃん楽屋にいるって言ってたっけ」
「ガキさぁーん!」


止まらない私。
ついてくる愛ちゃん。

腰を掴んでいても、起こられるのが怖いのか、
強く引っ張れないらしい。

少しした頃、ただついてくるだけの愛ちゃんが可哀想になって
私はやっと立ち止まった。
くるりと後ろを向くと、まだ数メートルしか進んでない。
私もなんだかんだ言って、鬼にはなりきれないのかな、と思ったり。


「愛ちゃん」
「ん」
「何でいきなり突っ込んできたの」


後ろからなんて危ないでしょ、と私が先生っぽく問いただすけれど、
愛ちゃんはうじうじして何も言わない。
許してほしいのか、ほしくないのか。
どっちなんだよ、もー。

私がむすっとした態度をとっても、
愛ちゃんはもごもごしたままだった。
まるで言い訳を考えているみたい。


「やっていい事と悪い事があるの、知ってんの!?」
「だってガキさんにかまって欲しかったんやもん!!」


私がしびれを切らせて怒鳴ると、愛ちゃんも負けじと声を張り上げた。
何だ、言おうと思えば言えるんじゃん。
仕方ない、許してやるか。

そう思ってコップを握る腕を動かそうとしたとき。
一度進んだ思考が巻き戻った。


今、何て?


先程の愛ちゃんの怒鳴り声をプレイバックする前に、
愛ちゃん本人が付け加えるように口を開いた。


「ガキさん好きやし……」


それは、もっと恥ずかしい言葉。


「どーしてそういう事、簡単に言うかなぁ!?」
「うおぁっ」


てっきり私が静まったと思っていたのか、
いきなりの大声に愛ちゃんは驚く。
しかし、私の自分勝手な思考に気付いたらしく、
すぐに頬を膨らませた。


「ガキさん、むちゃくちゃやし!」
「うっるさいなぁ!」


うるさい、うるさい。
へらへらした顔して、そういうことを普通に言うから。
だから、私のペースが狂っていくんだ。


端から見たらマイペースを保ってるように見えても。


本当は、ね。


ふと見れば、めちゃくちゃな私の反応に
納得いかない顔をしている愛ちゃんが。


「愛ちゃん?」
「何やの」


にらむような勢いで私を見る愛ちゃんに、私は少しだけ微笑む。
いつもなら反抗的な態度は徹底させるんだけど。
その習慣が愛ちゃん自身にも身に付いているのか、
私の反応にきょとんとした顔をした。



「はいっ」



手渡すのは、オレンジジュースの紙コップ。



「へ?」
「いらないの?」
「あたしに?」
「他に誰がいるのっ」



愛ちゃんは私の手に目を落としたまま、ぽかんと口を開けている。
いつまで経っても受け取らないものだから、
こっちが恥ずかしくなってきた。


「いらないの!?」


そう大声を上げると、愛ちゃんははっとして紙コップに指を絡める。


「いる! いるって!」
「中身、少ない方だからね」
「それでもええよ」


愛ちゃんは心底嬉しそうに紙コップを胸の辺りで握った。
ジュース一杯、何がそんなに嬉しいんだか。
そんな風に見ていると、ぱっと輝いた顔がこちらを向く。



「ガキさん、大好きやよっ」


少し子供っぽい声色でで響いた台詞と一緒に、
こぼれた跡の大きい方のコップが、愛ちゃんのものになった。



「あっ、そーや、ガキさん」


締まりのない笑顔が、口をぱくぱくさせたままの私を呼ぶ。
さっきの言葉は、そんなに簡単に流しちゃうのか。
ふぅ、とため息をついてから「なにー」と返事を返した。


「今日、一緒に帰れん?」
「え? 別にいいけど……」
「本当!?」


弾む声。
まるで仔犬のようなその姿。

ちょっと待てよ、とスケジュールを頭の中で確認。
うん、今日は何も入っていなかったはずだ。
ここで「やっぱりダメ」何て言ったら、このお子様はどうなるか分からない。


「うん、大丈夫」
「よかったぁー!」
「なんで」
「だって最近、ガキさん亀ちゃんとばっかおるんやもん」


そういえば、そうかも。


ここ何週間か、カメは何かと自分の予定を占めていた。
休日の予定から、仕事の帰りから。
私の空き時間という時間をすべて。

この間、愛ちゃんが私を夜遅くに呼び出して、
あんな風にすねたのはこれが原因だったのか。


「しょうがないじゃん。カメが買い物付き合ってーって言うんだから」
「でも、ここんとこずっとやった」
「いつも誘われるんだもん」
「たまには断ってくれたっていいやんかぁ」
「予定他にないのに断りたくないしー」
「ぶー!」


怒ったり、笑ったり。
本当に忙しい人だ。
そんな風に思考が和んだ、その時。



「亀ちゃんは絶対ガキさんの事狙っとる……」
「はぁ!?」



何を言い出すかと思えば。


「バッカじゃないのぉ!? そんな事あるわけないじゃん、もー」
「あるんやって!」
「ない!」
「ある!」


くだらない言い争いをしながら楽屋へと向かう私たち。
結局、オレンジジュースに口をつける事はなかった。



     ×     ×     ×



「ガキさんっ」


帰る支度をしていると、後ろで声。
振り向いて一番最初に目に入ったのは、
最近染め変えた茶髪寄りの黒髪。


「カメ」
「今日もこの後、いいかなぁ……、なーんて」
「あー……」


いつもは「またぁ?」と言いつつ引き受けるけれど、
今日はだめだ。
脳裏に浮かぶ、きゃんきゃんうるさい仔犬の顔。


「今日はちょっとパス、ね」
「えぇー!」
「えぇー、って。あたしにも予定とかあるから!」
「ガキさん、ひどーい!」


いやいや、酷くないし。


「今日はなんだったの? 勉強? 買い物?」
「映画見に行こうと……」
「あー、また今度じゃダメ?」


少しでも愛想良く勤める私。
冷静に考えると、なんであたしが困ってるんだろうか。
ちょっと前までは、こんなにに頭を悩ませる事なんてなかったのに。


「ガキさぁん……」
「だめったらだめ。今日は先客がいるから」
「誰ー?」
「誰でもいいでしょ、ほらっ。行くから、ね?」


私の腕に掛かるカメの腕を、ゆっくり解き放つ。
変に扱って、今度はカメがすねた、
なんてことになったら本気で困るから、あくまでそっと。

鞄を肩に引っ掛け、立ち上がる私。
しかしそれを、カメは肩をつかんで止めようとする。
こんなにもたもたしてたら、また愛ちゃんがすねるのに。


「もー、カメってば……」



「黙って?」



振り向いたそこには、カメの顔。


近い、と感じたのと、甘えたカメの声を聞いたのは。


多分、同時。


真っ白になった思考に、沸々とわき上がる何か。

やわらかくて、暖かい感触。
吐息の混ざった、甘く曇った声。


そして。



愛ちゃんの顔。



「ちょっ!」



反射的な行動なのか、私はカメの肩を押す。
『突き飛ばす』と呼ぶには、あまりにも弱々しい力で。


キスされた。


その事実に気付いたのは、カメが自分の唇を抑えたときだった。
それにつられて、私も自らの口に触れる。
少しだけ、湿った感覚が乗っていた。


「……っ、うそ」
「嘘じゃないよ」


消え入るような私の呟きに反応してか、
カメは甘い声で言った。
どこか夢心地な、甘い声。



「ガキさんが、好きだよ?」



そんな。


そんなこと、言われても。


カメの事、好き。


だけど、さ。



「ばか……」



激しい動揺の中、それをかいくぐりまっすぐ届く、
か細くて、弱々しくて、痛みを伴った声。
いつも一番に聞きたくて、今一番聞きたくない声。


いつの間にか、愛ちゃんはすぐそばにいた。


「愛ちゃん、違っ……」


私が望んだ事じゃない。
そう伝えたかったけれど、うまく言葉が出てこなくて。
すべてを話す前に、愛ちゃんの顔はどんどん歪んでいった。

悲しみ、怒り、絶望。
どの言葉にも当てはめる事のできないような苦痛で。


「ばか!!」


愛ちゃんの履いた茶色いブーツが廊下を蹴り、
重たいドアがうるさい音を立てる。
じんじんと響く余韻。


頭が痛い。


最後まで聞いてよ。
私のせいじゃないんだって。
どうして、いつもそうやって。

愛ちゃんに対しての、どうしようもない後ろめたさ。
それは怒りに身を染めた不満となって、ぼろぼろと頭の中にこぼれていく。


でも。


悪いのは愛ちゃんなの?


本当に悪いのは、誰?


本当に悪いのは。



『ガキさん、大好きやよっ』



寂しがりで、うるさくて、子供っぽくて。
それでも私を愛してくれたあなた。


そんなあなたの思いに答えられない私。


本当に悪いのは、私。


なに愛ちゃんのせいにしてるの。



私って、そんなにどうしようもない奴だったっけ?



「……っしょうがないなぁ!!」



私は身を翻し、愛ちゃんの後を追った。
どれくらい時間が経ってからのスタートなんだろう。
全く予想がつかなかった。

不思議と、カメの表情は伺わなかった。
見てはいけないと本能が叫んだから。

カメを見たら、この足が止まってしまうと思ったから。



ごめんね、愛ちゃん。


たまには素直になるから。


だから。



戻ってきてよ。



愛ちゃん。






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